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Thursday, December 5, 2013

日本語のどの側面が非論理か     

 
日本に西欧の論理学が輸入されたにも関わらず、日本語が論理的な発展の仕方をしなかった理由を率直に見つめ直す事は必要であろうと思います。日本語にメスを入れる事を嫌う日本人の意識が垣間見えますが、日本人が日本語自身への関心の向け方を漢字表記の方に主に目をそらされてきた経緯がある事も原因だろうと思ってしまいます。原因と言うより関心が向かなかったと言うのが実態だったのでしょう。又、前述の論理学が日本語が非論理的に傾く事を批判出来なかった事にもあるのではないでしょうか?あるいは論理的な文章構造を育成する事に関与出来なかった経緯があった事も考えられます。
論理的な文章構造とは言語に内在する文法的補助構造がある場合と文法外の説得的意思の力によるものとがあると思いますが、日本語には文法的補助構造が欠けている分、論理的思考が特に求められている筈です。それは改まった論文レポートの類いでなくても通常の会話においてさえも、必要な態度と考えます。非論理の障害の方がリスクは多く発生している筈なので、「日本語に文法から既に論理的表現が出来る様に手を加えておければ…」と言う事を夢想する次第です。     
日本語に代名詞組織はあるのですが、これを多用すると煩雑になると恐れて使いこなさない習慣が定着していますが、私は韓国語の用法を見習うべきとの立場です。韓国語の代名詞は非常に簡素に出来てると思います。/…     
 

Tuesday, December 3, 2013

 
悪文の例 

日本語の中で法律の条文は悪文で有名です。実際どの条文でも良いので例に取って読んでみれば判ると思います。この様な悪文が放置され、この条文で法律が運用されている事の恐ろしさを感じざるを得ないのです。この様な条文を案出するのは官僚であるに違いありませんが、これは日本語に(これと言った)文章の関係性を明確にする機能に欠けている為にこの様な事が続けられているのです。関係性は案出者の頭の中にしかなく、次から次へと込み入った構文を作り出すので、殆んど客観的には理解出来る文意を汲む事が出来ません。何故、法曹界ではこの様な現状を改善しようとはしなかったのでしょうか?答えは恐らく法曹界がお上の為の官僚制度の一翼であり、市民社会の裏付けを得ていない政治社会の反映でしかなかったという事ではないでしょうか。実際に悪文の例を見てみれば良い訳ですので以下に書いてみます。 
適当な文例が見つかりませんでしたので、ここは保留とさせて下さい。
 

Thursday, November 21, 2013

英語を観察日本語と比較する

英語の歴史は、我々膠着語話者から見て面白い進化をしていると感じます。と言うのは従来持ち合わせていた要素を削ぎ落として進化出来たのですから、先ず不思議だと言う感想を持ちます。言葉の機能が外形に依らず、可視化しているものに依らず、恐らく言語外機能に依ってるのか本来的言語要素に依らない機能を利用して、統語法=語順を効率的に利用している点に私は驚きました。たぶん統語法、語順を英語話者の先祖は近くて遠い隣人とのコミュニケーションの為に発見した言うことなんでしょうけど、感動的に私などは思ってしまいます。 あまりにも軽量化した為に、効率が良すぎて、私なんか頭の回転が追い付きません。日本語の咀嚼時間と英語のとはかなり違うと思います。日本語はどんなに早口で喋ってもタカが知れています。英語話者の早口言葉は本当に聞き取りが困難です。 英語が優等生なのは効率、簡素、結果として書記が軽量=3Kだと思っています。日本人が英語が不得手との迷信は不得手ではなく、喋らない、喋ろうとしないのが実態ではないかと思う次第。簡素であるが故の速度に追い付いて行けないことが実態であろうと思います。所謂構文が頭に入って無いと言う指摘を受ける点です。  

英語の進化に思う

英語の歴史は、我々膠着語話者から見て面白い進化をしていると感じます。と言うのは従来持ち合わせていた要素を削ぎ落として進化出来たのですから、先ず不思議だと言う感想を持ちます。言葉の機能が外形に依らず、可視化しているものに依らず、恐らく言語外機能に依ってるのか本来的言語要素に依らない機能を利用して、=統語法=語順を効率的に利用している点に私は驚きます。たぶん統語法、語順を英語話者の先祖は近くて遠い隣人とのコミュニケーションの為に発見した言うことなんでしょうけど、感動的に私なんか思ってしまいます。 あまりにも軽量化した為に、効率が良すぎて、私なんか頭の回転が追い付きません。日本語の咀嚼時間と英語のとはかなり違うと思います。日本語はどんなに早口で喋ってもタカが知れています。英語話者の早口言葉は本当に聞き取りが困難です。 英語が優等生なのは効率、簡素、結果として書記が軽量=3Kだと思っています。日本人が英語が不得手との迷信は不得手ではなく、喋らない、喋ろうとしないのが実態ではないかと思う次第。

Sunday, November 10, 2013

複数語素を文法素として格上げ利用できるかも知れない    

我々の言語グループには複数指標「ら」を語素として持っています。ただしこの語素は他の指標に絡んでくることはありません文法上の中心には存在してはなく代名詞のボリュームに関することだけを表すのが精一杯です。アト名詞のボリューム出す為の語素に使ったりします。<--▲to be continued!-->     

Wednesday, October 16, 2013

指示代名詞について  

指示代名詞のうち事物については現在でも比較的軽量に出来ているので大きな不便は無いと考えられますが、人に関するシステムは現在非常に重いシステムになっている為、これ等の軽量化には可也厄介な作業が予測されます。
重い軽いとはどういうことかと言えば、日本語助詞の様に単音節であれば軽いと言えると思います。最低限子音と母音一つで出来た接頭辞としてです。  
それでは、軽くするとはどう軽くすれば良いかと言う事になります。方言には多少軽いものがありますが、これを利用は出来ないだろうか?但し、特定の方言のニュアンスが残ると他の地方では使い難いと思うので、古典から引っ張るのが公平かも知れません。[参考例]我が家、我が輩、我が国等。 
①近称「此=こ」②中称「其=そ」③遠称、既出称「彼=あ、か」(定冠詞候補)④疑問選択詞「何=ど」
指示代名詞の役割は既出の概念の再呼び出しにあります。その際に錯綜を避ける為に、再呼び出しした概念の性数を呼び出し、特定の為の補助としているのが印欧語などが採用している方法です。性数は完璧なシステムではない。何故なら同じ性数はが複数ある場合には区別して特定することは錯綜し、煩雑になってしまうからです。日本語に性数の区別を持ち込むことは事実上諦めざるを得ないのでそれに変わる指標はないかを探索することにします。

Tuesday, October 15, 2013

 避けられない(unavoidable)非論理的(illogical)叙述  

 人は完璧な合理性を持っている訳ではないので、曖昧な非論理的叙述をしてしまうのであるが、それらは言語体系に由来しているのか、叙述者に起因しているのかは不明な場合もある筈なので、今後言語体系に由来していると思われる叙述を発見したら、サンプルとして取り上げ、評論して行きたいと思います。日本語にはどうしても避ける事の出来ない非論理的叙述が発生する場合があると考えています。そう言った事が個人の表現にまで影を落としていると考えます。

 日本語を進化させる具体的な方法はあるか?  

日本語を改造するなんて僭越だと言われるだろうけれど自然放置しても何の変化も起こらないだろうと思う。何らかの刺激を与えて共同観念に改革必然性を与えない限り変化は起こらないだろうとと思う。その必然性はこの日本語をが不自由な点に気がつかなければ改革衝動は起こらないだろうとと思う。従って、日本語の様々なジャンルに於いて非論理的表現を見つけたらそれを指摘していかなければならない。 

日本語千年化計画のブログをスタートしました。


日本語千年化計画のブログをスタートしました。タイトルは「日本語進化論」です。矢張り、狂気を温め続けております。日本語が無変化のまま千年は保てないので、進化論でDNAを鍛え直すと言う発想です。遺伝子組み換え技術的発想です。文法指標が少し増えますが、出来るだけ軽量で従来の表現に付加するだけで指示性が飛躍することを目指します。

 敬語システムは気の重い事だ!  

  日本語には敬語システムがど~んと横たわっている。私は不合理と考える者であるが、これをどうするかの提案を今持ち合わせていない。しかし、何らかの合理的な判断をしなければならないと考えている。何故なら、敬語は非論理の表現が集中する部分だからだ。非論理の象徴と言えるのだ。しかし、これに踏み入る事は、他の日本語話者に僭越な事と言えるので、静かに提案はして行きたいと思います。
 敬語が何故非合理かといえば、人間関係が会話の前に既に暗黙の了解事項になっており指示関係が表現外で既に決まっているので、言語の役割が殆んどなくなっているようなところがあるのです。敬語は言語表現以前の人間関係の環境の反映でしかないのです。但し丁寧語を敬語システムから切り離す提案は有り得ると考えています。 

Monday, October 14, 2013

日本語は表現が曖昧な言語だったので
改良を提案します!  

 何だ?!この出来損ないの言語は!主語は何だ?!何について述べてるんだね?!これは何を指してるんだね?!あのことか?このことか?そのことか?どのことなんだよ!
能くこんな言語で我慢してきたね!?何と曖昧な言語だった!酷いじゃないか何の手も加えなかったとは、驚きだね! 放置されてたんだ?!
そう言えば日本語には冠詞がなかったよ!冠詞は便利だよ!あれば忽ち既に解ってる事を指してるのかが分かるからね!冠詞は定冠詞の事だ!具体的に定冠詞を何にするかは指示代名詞から引っ張ってくるしか無いだろうね!そのままと言う訳にはいかないから簡便化して持って来るんだけどね!
日本語に不足している要素として複数概念が文法指標として存在してない事だけど、この概念は必要な時と時としては煩雑さを増す時もある。文法指標である必要は無いが単に明示を奨励しておきたいと言う意味で語素が存在しているのでこれを存続するかもっと簡素にするかは考えておいても良いのでは無いかと思う。
又、ジェンダー(性別)は日本語に必要かどうかは私は分からない。寧ろ人物生物と無生物の区分けは日本語に馴染み易い区分けであろうとは考える。