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Friday, February 14, 2014

  「日本語進化論」と言うタイトル。
憂国ならぬ憂語?  

「日本語進化論」は不適当な言葉の組合せかも知れません。言語が進化するとはどう言う事を差しているのか不審に思われても致し方ないとは思います。しかし、日本語変化論ではインパクトに難があると思わざるを得ないと思いましたので、殊更に大袈裟にしてみました。
我々は言語の変化史を間近に観る事は稀な事であるし言語学者の推論の中に辛うじて見ること位だと思いますが、日本語は我々が知る限り時代層に応じて変化して来ている事は掴めてはいます。しかし、今後の変化の方向については我々現代人は与り知らぬ事です。精々言語学者の推論の中には現代の中に変化の萌芽を見付けて報告をしているケースもあります。与り知らぬとは現在問題に出来ないと言う事ですから、問の見えない問題ではあります。答のない問題でもあります。「日本語進化論」は差当たり何のことを言っているかと言いますと、現在日本語に全く足りていない側面、即ち非論理の苦痛から抜け出せるかと言う将来的な可能性について見通せるかと言う事なのです。これなら多少現代の中からでも問題の必然性が手繰れるのではないかと思います。則ち現代において非論理の苦痛を感じているのならどうすればとか、どうしたいかなどの欲求が引き出せるかも知れないと思うからです。「日本語進化論」が無駄な思考範疇にならぬ為に日本語話者として憂うべきは憂いておきたいと思います。