七井誓同時進行ブログLinks▷❶「目黒三丁目構造学派」❷「無位無冠且無為徒食且徒手空拳」③「目黒イドラ方丈窟」 ④「ユルログ目黒・大鳥田道界隈」⑤「今週のトーラー=パラシャーפרשת השבע」⑥J'ALEFHABÈCTE FŌRÛM ⑦七井誓J'ALEFHABÈCTEWAHDO BUCKE
ご質問、ご批評、ご批判は こちら にメール下さい。
ブログの各タイトルテキスト(日時の下)をクリックするとコメントフォームが記事の下に現れます。 是非コメントを書き込んで下さい。
記事の末尾に「/…」の記号がある場合、記事の推敲中乃至書き掛けです。更新にご注意下さい。

Tuesday, December 9, 2014

どんな偏見も増殖する

どの様に小さな偏見でさえ、無知の前を通り過ぎる事は難しい課題です。小さな偏見も侮れば無知によって増殖し何れ粗暴に育つ。人が出来る事は無知を羞恥し、無知を回避し、自らの知を築き、知の砦を築く必要があります。但し一度築いた知に安住すればたちどころに足元から朽ち始める。偏見は癌の様に転移し、増殖する。これに勝つには知の闘いを怠る事は出来ません。知は常に更新を余儀無くされるが、知の宿命で古い知を常に洗い直してクリーニングしておかなければなりません。知の寿命は予想以上に短い。ゴミ屋敷のゴミはたったさっき迄は必要だと思っていた物ばかりです。知にも例外ではないと言う事です。
言語にとって進化とは何を表すのでしょうか?進化の先に何か理想像があるのでしょうか?逆に進化してはならない理屈があるでしょうか?進化の定義を省略してこの話をこれ以上進める事は出来ない事は解っています。言語の変化なら我々は幾つか知っています。変化の結果進化したと言える事はあるのかもしれないが、それは単なる主観的な評価の問題に過ぎないので、最早進化について考える事はこれで終わりになってしまいます。ところが、単なる変化のひとつにすぎなかった事がトンデモナイ進化だったと言う事が言語を比較すると浮かび上がって来ます。よくあるのは言語接触によるダイナミックな変化の獲得です。/……

Monday, June 30, 2014

日本語進化の方向

今後日本語が進化して行く為に避けて通れない事項があると思います。それは「指示性」と「平易な論理的表現」です。論理的な表現を庶民レベルから採れるかが鍵です。難しい事を庶民レベルに要求するのではなく、日頃のトレーニング次第で日常生活が表現が相手に確実に届くにはどうするべきかを地道に探る事です。日本語には助辞の種類が細かく使い分けられている場合と、逆に非常に雑な面とがあります。助辞を拡張することを考えても良いと思います。助成する部分は助辞である事は概ねし易く、できる事であろうと思います。助辞は創作する事は抵抗が強いと思われるので、これ迄使われていた存在していた連辞(複合助辞)を基礎として発展させて行けると思います。/……………

Sunday, May 4, 2014

開音節母音を何とか利用出来ないだろうか?    

 
日本語は性数の概念はないので、ここに蟠っていては先に進めません。単に単語の語尾の開音節母音に着目するだけの努力とストレスを感じて指示性を作り上げる事はできないものだろうかと思います。/……  
 

Thursday, March 13, 2014

どうやったら簡素で明確な指示性、関係性が得られるか?  

表現、表出とは新しい情報を従来から決められた約束に従った指示性を組み立てる事で相手に提供するものですから、既知の部分を未知の構造に導く作業である訳ですから新しい構造へ組み立て直す関係性が明確になる事が常に求められ、それが使命と言う事です。既知の部分は実際には既知の部分と言う前提で述べられるものです。言葉の明瞭さは既知の部分どうしの関係性が明確である事に負っている場合が殆んどです。印欧語等では性数の一致を手掛かりに関係性を維持している様に考えられます。日本語にはその様な習慣を持たないのでその指示性を遠称、中称、近称の指示代名詞を駆使して行なうしか方法がありませんが、語形的に重い点がある為、慣用表現の中に軽い素材を捜し更に簡素化、慣用化しなければなりません。  
日本語は五母音開音節で終わる単語が多いので、印欧語の性数の代わりに、これを指示性の素材に出来ないものだろうかと考えた事がありますが、全くの空想になりますので非常に躊躇を覚えた事があります。  
又指示性とは離れるが明晰性の為に考えられ事があります。それは表記における文法意識です。明確な表現の為には表現の中に小まめに指示を与える事が必要ですが、現行の方法では音節が多い事もあって煩わしさが先に立って日本語話者の最も嫌うところです。日本語的リズムを崩す事を嫌うからとも言えると思います。/……  
日本語には近称•中称•遠称の代名詞システムとして「こ•そ•あ•ど」の系列がありますが、現代語では殆んど使われない「か」の系列もあります。これを利用しても良いと思います。それ程の違和感を持たなくても使用出来る範囲のものではないかと思います。  

Saturday, March 8, 2014

日本語をどの様に改良したら良いのか?   

日本語には表現者の論理を接続する接辞は発達していますが、語と語の関係を明示する指示性は遅れを取っていると観ます。どの語がどの様に展開するのか不明瞭な場合が多々見られます。又膠着言語の悪いところを一切背負って意味不明な文章世界を作っているのが法律の条文です。情緒的ではあるけれど純文学の方が慣習を利用するなどしてイメージが掴み易い文章もあります。日本語は日本語独自の論理構築が不十分な場面があり、欧文における性数を利用した指示性の高さには全く届きません。この様な不備を踏まえて日本語の改良に手を付けなければガラパゴス化は必至です。ですから日本語の現行の指示代名詞を改良して簡便な構造に進化させなければならないと考えます。   

Friday, February 14, 2014

  「日本語進化論」と言うタイトル。
憂国ならぬ憂語?  

「日本語進化論」は不適当な言葉の組合せかも知れません。言語が進化するとはどう言う事を差しているのか不審に思われても致し方ないとは思います。しかし、日本語変化論ではインパクトに難があると思わざるを得ないと思いましたので、殊更に大袈裟にしてみました。
我々は言語の変化史を間近に観る事は稀な事であるし言語学者の推論の中に辛うじて見ること位だと思いますが、日本語は我々が知る限り時代層に応じて変化して来ている事は掴めてはいます。しかし、今後の変化の方向については我々現代人は与り知らぬ事です。精々言語学者の推論の中には現代の中に変化の萌芽を見付けて報告をしているケースもあります。与り知らぬとは現在問題に出来ないと言う事ですから、問の見えない問題ではあります。答のない問題でもあります。「日本語進化論」は差当たり何のことを言っているかと言いますと、現在日本語に全く足りていない側面、即ち非論理の苦痛から抜け出せるかと言う将来的な可能性について見通せるかと言う事なのです。これなら多少現代の中からでも問題の必然性が手繰れるのではないかと思います。則ち現代において非論理の苦痛を感じているのならどうすればとか、どうしたいかなどの欲求が引き出せるかも知れないと思うからです。「日本語進化論」が無駄な思考範疇にならぬ為に日本語話者として憂うべきは憂いておきたいと思います。